若いあなたたちの周りには、たぶんいろんな声が渦巻いている。「これが正しいのだ」「これが良い人生なんだ」「こう生きれば間違いない」等々。
だけど気をつけて。まがいものが多いから。
聞くべき声はいつだって、自分の内にある。「わたしは、それを欲しているのか」「わたしは、何が大切なのだ」「わたしはどうして生きたいのだ」。
自分で問い続け、自分で答えを探す。見つからなくたっていい。自分と向かい合い、そこからいつだって出発した。そのことが誇らしいのだ。世間という自分でないものに振り回されるのはしかたない。弱くたってかまわない。だけど、弱いこと、振り回されていることをちゃんと自覚できている人とまるでできていない人との差は大きいと思う。
いくら金持ちでも、学歴が高くても、眉目秀麗でも、鵺のように得体のしれない世間の価値観なんかに疑うことなく振り回され、従属している人の人生は惨めだ。みすぼらしい。哀れだ。そんな人生、歩みたくないよ、わたしは、ちょっと危ないけど。
聞くべき声はいつだって自分の内にある。モノサシは自分で作る。それで自分を計りたい。そんな自前のモノサシをちゃんと持っている人をホンマモンの大人というのだ。
若い時から耳をそばだてて、自分の声を聞いてください。モノサシをせっせと磨いてください。
後悔のない人生の定義なんて存在しない。人、それぞれが自分のモノサシを手に入れて、計り、創りあげるしかないと思う。
あさのあつこ(作家)
子曰わく、吾れ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)う。
論語にあるこの一節から、十五歳を「志学」、三十歳を「而立」、四十歳を「不惑」の年と言いますが、なかなかそうはいかないもの。
志学の頃から自分探しの旅は始まりますが、耳順でもその旅は終わっていないのではないだろうか?
自分をいくらしっかりさせようとしても、所詮大衆はながされるもの。バブルしかり、歴史は繰り返しています。
その時代の流れのなかで、どう自分のモノサシをしっかりと持ち、そのモノサシにしたがって納得のいく人生を送っていくのか?
難しい課題です。

